二十歳の誕生日、おめでとう。
俺が今、この文章を書いているのは、
君が生まれてから、丁度1週間後の2004年4月1日。
君と君のお母さんが、産院から退院し、
君とお母さんが、お母さんの実家、玉名のお祖父ちゃんとお祖母ちゃんの家に里帰りした日だ。
今、23時を回った。
エイプリールフールの日だ。
きっと俺は、君が二十歳になるまで、
散々、君に「ウソ」を付きながらからかっていたであろう日なので、
信じて貰えないかもしれないが、これは事実だ。
君が、お母さんのお腹から出てきた時の事は、
俺は、一生忘れない。
君が生まれた日。
生まれる前の深夜からお母さんは陣痛で苦しんでいた。
まだ夜明け前の暗がりの6時に、
俺は、君が生まれた熊本市内の産院にお母さんを連れて行き、
6時半より、分娩が始まった。
俺も、君の誕生には、ずっと立ち会っていた。
2時間後の、8時29分に、
体重2594g、身長45.9cmの君が
産声と共に、俺とお母さんの前に、そして、この世に舞い降りた。
君が生まれた直後、俺は嬉しさの余り、君のお母さんを抱きしめ、
「ありがとう!お疲れ様!」と叫んだ。
そして、分娩を担当して下さった先生や周りの看護師の皆さんに
俺なりに精一杯「ありがとうございました!」と礼をした。
君が生まれた時間は、もう陽も昇り、清々しい光が満ちていた朝だった。
白みが解け、雲一つ無く青みがかった空は、とても美しかった。
君は、お日様と一緒に生まれてきたのだね。
君は、とても目が大きかったのが第一印象だ。
二十歳の司よ、どうだ?
今も大きな瞳を輝かせているか?
君の誕生で安心した俺は、一旦仕事へと向かった。
…まあ、二十歳の君だ。
きっと、君が生まれた日のことは、何度か聞いているかもしれないが、
この日は、俺が勤める会社(2024年現在も存在していることを強く願う)、
株式会社アルファ・システムというゲーム開発会社の花見の日だったので、
「仕事」とは言え、午後からは熊本城で花見だった訳だ。
社外のお客様も来られている。
「花見」とは言え、もちろん休む訳にもいかなかったのだ。
君の誕生を見た俺は、安心してこの席へ赴いたのだよ。
元い。
早く君に会いたかった俺は、花見が終わった後、
すぐに、君とお母さんが休んでいる病院へと向かった。
すると、玉名のお祖母ちゃんとお母さんが
二人共、涙を流しながら、俺に君の事を話してくれた。
君が「口蓋裂」という、先天性の異常を持っていたからだ。
二人とも、俺と宮崎のお祖父ちゃんとお祖母ちゃん、
そして、君に対して、本当に申し訳無い感じで謝っていた…
すでに手術も訓練も終え、
普通に生活しているだろう今の君からすれば、
薄っすらとした記憶しか無いかもしれないが、
お祖母ちゃんとお母さんの心情は、俺が感じたばかりでも
本当に切実で、辛いものだった。
だが、二十歳の司よ。
俺からすれば、君のこの(既に治っているであろう)症状は、
君のお母さんと君とが、素晴らしく繋がった母子であることの
証明であるのだと感じるよ。
涙を流して謝ったお母さんや玉名のお祖母ちゃん、
そして既に普通に生活しているであろう君には申し訳ないが、
俺は、この口蓋裂の話を聞いても全然心配していなかったのだよ。
もう、お母さんから話は聞いているだろうが、
お母さんも、君と同じ口蓋裂を持って、
この世に出てきた人だ。
2024年には、どういう論説が流れいるか判らないが、
2004年現在では、この口蓋裂という症状は遺伝も少なからずの影響を与えている
と言われていたから、お母さんと玉名のお祖母ちゃんが
謝られた訳なのだが。
でも、お母さんも、君と同じ症状を持って生まれ、乗り切り、
そして、普通の生活を送っている。
前向きなお母さんと俺の息子である君だ。
きっと、難なく、この症状を乗り切ることが出来る。
そう確信したから、俺は何の心配もせず、
ただ、俺が出来ることをやるだけだと意識しただけなのだよ。
この症状をものともしない、前向きな君の今の姿こそ
お母さんと君の強い絆だと、俺は思う。
…どうだ?
仮に今の君が「後ろ向き」であったとしても、
前向きにならざるを得ないだろ?
君の名前を、
君は、どう思っているだろうか?
もう、話したことがあるかもしれないが、
君の名前は、俺が付けた。
この世に舞い降りる君へ、初めての俺とお母さんからの「贈り物」だ。
悩まないはずは無いのだが、意外にあっさりと俺の中では決められたよ。
君にも話したことがあるかもしれないが、
俺が一番尊敬しているのは、俺の両親、
君からすると、宮崎のお祖父ちゃんとお祖母ちゃんだが。
意図せず、君のお祖父ちゃんの名前の一文字と重なったことが、
俺の中で、すんなりと君の名前を決められた要因だったのかもしれない。
二十歳の司よ。
今、君はどんな人間になっているだろうか?
君なりに、この二十年間、一生懸命に生きてきたと思う。
だが、司よ。
これだけは忘れないで欲しい。
君のこれまでの、そしてこれからの人生は、
決して、君一人の力だけで培われたものでは無いことを。
君が、これまで出会ってきて、そしてこれから出会う全ての人のお陰で、
今の君と、これからの君があるのだよ。
出会ってきた、そして出会う全ての人への感謝の気持ちを忘れず、
これからの君の人生を突き進んで欲しい。
まだまだ伝えたいことは沢山有るが、
あまり長くなるのも何だ。
この手紙は、ここで終わる。
これからも、君の長い人生を応援し続けるよ。
平成16年4月1日
父2004年4月1日。
産院から退院した奥さんと息子を、奥さんの実家へ送り届け
帰りの車中で、大好きなGLAYの曲を聴いている最中に
ふと、二十歳の息子への手紙を書こうと思い立ちました。
で、自宅に戻り、ビールの勢いも借りて
ガーッと書き連ねたのが本テキストです。
…ちょっと照れ臭いですネ(汗)
03-Apr-2004